2015年06月14日

ラブライブ! The School Idol Movieを見てきたよ【ネタバレだらけ注意!】

@イオンシネマ港北、午前中の回

住宅地の映画館ともいえる場所ならば人も少なかろう、と思ったら本当に人が少なかった。
小さいシアターの回を選んだこともあるかもしれないけど、座席の埋まり具合はかなりまばら。
驚いたのは、女性客の年齢層の低さ。いや、マジでみんな小学生でしょ!?きみらアイカツとかプリパラじゃないの?と思うレベル。少なくとも高校生以上の女性客はこの時間帯いませんでした。こんな層にまでファンがいるんですか……。

それではここからは部門ごとにネタバレ全開で行きます。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
☆新曲
とにかく新曲のオンパレード。
学年ユニットごとに一曲ずつ、9人曲が二曲、さらに今更!?と思うのですが、おそらくラブライブシリーズ共通テーマ曲にする目的で作られた曲がさらに一つ。6曲あります。
学年ユニット曲が劇中でミュージカルっぽく使われてたのは、やっぱりNYだからブロードウェイ意識してるのかな。
それにしても一年生限定曲の「Hello, 星を数えて」は最初凛ちゃんソロかと思うような圧倒的な出だし。雨の中に躍り出て前髪をアップにしてハットをかぶった凛ちゃんはまるで「雨に唄えば」のジーン・ケリーのようだったよ……。
そしてCMでも出ていたAngelic Angel。渋谷系サウンドなので別の作曲家さんなのかなと思ったら、安心の倉内サウンド。オルガンとピアノ主体なので鍵盤弾きとしてもにこにこしながら聴いてられます。
ラストの曲も歌詞にメンバー全員の名前を入れつつSTART:DASH!!へのアンサーのようになっていて、ほんとに感慨深かったですね……。小鳥の翼が大きく羽ばたいて〜とか涙以外の何物もない。
劇伴も、NYに上陸する時のBGMにラプソディー・イン・ブルーめいたフレーバーがあったりとか、にやりとする部分が多数ありました。
さらになんと劇中ではあのジャズスタンダード"as time goes by"が流れるという始末。昔は「時の過ぎゆくままに」と訳していたように思えますが、今では「どんなに時が過ぎても」という解釈もあるみたいですね。しかもこれを歌う人物が物語の中核を担いつつも一切正体が明かされない!これは後述しましょう。


☆ストーリー
けっこうメタい。
ラブライブとは何なのか、μ'sとは何なのか、ラブライブはこれからどこへ行くのか。
それらが強烈過ぎるまでにコンテンツベンダーからこちらに提示されたストーリーながらも、メタいけどどうでもいいや、と思わせるくらいに素敵に仕上げてくれた、というのが率直な思いです。
でも、これ一歩間違うと強烈なブーメランになりかねない。
なにせ今回のμ'sは全編を通して、名声にすがろうとする周囲と対峙しているからです。μ'sにすがり、その力に乗っかろう、利用しようという人たちや、小なりとはいえできてしまったしがらみに、良かれ悪しかれ関わらず、最後に笑って首を横に振った。極端に言ってしまえばそういう話。
だからこそ、μ'sや中の人のこれからの使い方次第では、この映画のテーマがそのままコンテンツを傷つけかねない、そんな危険もはらんでいると思っています。


☆謎のシンガー
で、周囲に翻弄される穂乃果の前に、街角で歌う謎のシンガーが現れるわけですが、これがまた意味深。なにせ前髪の分け目と目の色が穂乃果とまったくおんなじなんですよね。まつ毛線が出てる場所もほぼ同じ。もう未来の穂乃果だとミスリードさせる気満々なんですが、あえてそこに乗るなら、自分の見解では「μ'sを続けることを選んでしまった先の穂乃果」なんじゃないかなと思ってます。
乗らないで別の人間として考えるなら、しがらみに縛られて、不本意な形でキャリアをひとつ終えてしまったシンガー、という感じでしょうか。
おそらく口ぶりからして彼女が本当の思いに立ち戻れたのは、仲間との活動が「終わってから」。話のストーリー通りからの延長線上であれば、「最初の思いに立ち戻れたから活動を終える」という流れですし、その文脈からするとおそらく「どんなに時間が経ったって、人の心の根っこや世界の真理が変わるわけじゃない」という意味のAs time goes byを歌ってはいないと思うんです。
君はどこまでも飛べる、と泉の向こうを指し示す彼女。飛び越えていく穂乃果を彼女は見送り、耳元の髪をかき上げてまた後ろを向いてしまいます。穂乃果のほうを向いていないんです。

そう、彼女は飛べなかった。
飛べなかったがゆえに、歌にしがみつくしかなくなってしまった。

穂乃果のほうを向いていない、ということは自分の道を見ている、ということにもなります。そういう意味では、歌だけが自分に残っていることを後悔しているわけでもないでしょうし、彼女の中での歌うことの意味が、おそらくは昔よりは重要なものへと変容しているということかもしれません。
ただ、歌で何かのキャリアを終えて、グループも解消し、ステップアップになるかなと思ってNYの路上で、しかもジャズスタンダードとはいえ古い部類に入る曲を歌っている、という状況は、ハッキリ言ってボーカリストとしていい結果が出せている状態ではないと思います。

飛んだ穂乃果の未来は無限です。何にだってなれる。
飛べなかった彼女のほうが、好きなことをしているように見えて、結局未来を自縛することになっているというのは、皮肉と言うにもあまりにも悲しすぎます。
結局穂乃果は彼女に渡しそびれたケースを劇中で開けることは、一度もありませんでした。あのケースの中身を手に取る未来を、穂乃果は選ばなかったのです。

あくまで、自分の想像の域を出ませんし、セリフなども加味するともう少し考える必要もあるでしょう。

ともあれ、μ'sというものにこれからも拘泥し続けることがどういうことなのか、ということを示し、それに背を向ける形をとったストーリーは、リアルの状況と絡めたときに「本当にできんの?」という不安もちょっと感じてしまうのです。

変なたとえなんですけど、この劇中におけるμ'sって、コンテンツにおいて商売っ気を出す直前のピークみたいなもんだと思うんです。草の根からじわじわと広がってきた媒体に徐々に火がついて、本格的に商業規模の拡大を考え始めるその直前の状態。
おそらく3000人くらいだった劇中の第二回ラブライブの決勝から次はドームなんて、明らかに商業規模拡大のための「誰かの手」が入ってるわけで、そうして拡大すると昔のファンは離れていったりするわけですよ。
ドームになってからのラブライブの優勝者は、おそらく商業規模的にμ'sとは比較にならない活動を要求されるでしょう。回を重ねていく過程でおそらく、スクールアイドルも「課外活動」から「プロ予備軍」に変貌していくと思います(その草分けが最古参であるA-RISEというのも皮肉なものですが)。その流れの中でμ'sはあの世界の過去の中に忘れ去られていき、古参が思い出話のようにたまに名前を出す伝説的なグループ、になっていくのでしょう。

じゃあサンシャインはどうなるのよ、ということになりますが、浦の星の子たちは拡大路線のラブライブの世界観に生きていくことになります。これが果たしてベンダー側の「容赦しねえからな、覚悟しとけよ」という宣言なのかどうなのか。それはまだわかりません。ただ浦の星はもう廃校が決定しているらしいので、そこがどう影響してくるのか見ものではあります。


☆ママライブ
実はLV付きと合わせて二回見たのですが、新規ママを四人ほど確認。街頭ライブで映る穂むら店頭一回目に新規ママを一人(赤いエプロン)、店頭二回目で和装の海未ママ、踊っている親鳥と真姫ママによこから入ってくる二人なんですが、海未ママ以外の三人が誰の母親か特定には至りませんでした。噂ではりんぱなママという話も……。確認したいからはよ媒体出してくれえ……。


☆最後の部室
歩道橋の上で手を振るアリサと雪穂の胸の水色だったリボンが、最後の部室では緑色。そう、あそこは、もうμ'sのいない音乃木坂。ウッ……
posted by Die棟梁 at 00:42| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする