2015年02月27日

「彼女たち」ではない「彼女たち」

これまでの音楽人生で、幸いにして何度か、本格的なボーカル録音に立ち会った経験がある。
いずれも違う歌録りだったが、共通して言われたことが一つある。

それは要約すると「さっさと終わらせろ」だ。

別にコストがどうとか面倒くさいとかそういうことではない。
ボーカルの質の問題なのだ。
経験したうち一つではもっと突っ込んだことを言われた。

「二時間ボーカル録音をしたら、大体の人間はピッチを保てない。喉が強くない人は一時間でもダメになる」

今でこそピッチ補正ソフトが強力になり、下手くそでも上手く聞こえるようにできてしまうご時世だが、やはり元の素材がいいことに越したことはない。素材が良ければ補正も少なくて済むし、良くない素材を無理に補正したところで、本来良いほうに働いているはずの人間らしささえなくなってしまう。
なのでやっぱり録る歌の質は高いほうがいいわけだが、人間には体力とか、体の耐久力とか、そういうものがある。二時間も真剣に歌い続ければ、訓練を受けた人間でも、歌の質を保つために必要な喉の体力を使い切ってしまうのだ。

さて、考えてみてほしい。
そんな喉を、仕事で日常的に用いている人間が、1日4時間のライブを二日連続でこなしたらどうなってしまうだろうか?

どんなにファンの声援を受けて、それに応えようとパフォーマンスをしても、人間は人間以上のものになることはできない。そこを超えようとしても、人間の体は耐えられるようにはできていない。

腕前はともかくとして長い間音楽だけはやってきたので、漠然とした予感はあるのだが、たぶん長い芸の道のどこかに、いくつか「自分はここで終わっても構わない」と思える場所が用意されている。でも、そこから先にも芸の道は伸びている。また、終わりが見えている道ならば、いっそここでありったけの力で爪痕を、というアイマス2の千早みたいな選択肢もあるかもしれない。
だが、いずれにしても、どこで道を降りるか、それとも降りずにずっと歩き続けるかは本人次第で、他の人間は決して干渉してはならないことだ。

おそらく、μ'sのこれまでのようなパフォーマンスの終わりは近い。これ以上ならなおさらだ。
単純な話だ。プロジェクトが続き、年数を重ねていく中で、体を支える若さは確実に衰えていく。穂乃果たちは老いも死にもしないが、演者はそうではない。無茶をすれば体はすり減るし、その結果があの足のテーピングであり、潰れる喉なのだ。だが、穂乃果たちではない彼女たちの芸の道は、これからも続いていくのだし、むしろ続くべきだと思う。

きっとこれはラブライブだけの話ではない。回を重ねるごとに長時間化が進むアイマスもだし、他のコンテンツ、さらにはガチのアイドルも様々なアクシデントに見舞われる話が以前よりも多く聞かれているように思える。

いい加減、我々は決めなければならないのではないか?
彼らを、彼女たちを、長い道を行く旅人として見守るのか、自分の中の神と美しい思い出の生贄にするのか、そのどちらかを。
posted by Die棟梁 at 01:37| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする